11月8日 歴史並び替え(江戸時代からの経済の流れをサクッと復習!!!)

投稿者:池畠 悠 所属塾:みやうち塾 閲覧数:200


投稿日時:2021年11月8日15:45

最終閲覧日時:2025年8月26日20:01


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今日の歴史並び替えは、経済に関しての出来事に並べ替えています。

富岡製糸場

昭和恐慌

バブル経済

世界恐慌

第1次世界大戦の特需景気

工場制手工業始まる

高度経済成長

八幡製鉄所

ちょっと 特殊な並び替えですが、一つ一つの出来事から確認していきましょう。

まずスタートは、工場制手工業が始まる、です。

これはいつからかご存知ですか?

この工場制手工業は、江戸時代に始まってます。

江戸時代、商品作物の栽培が盛んになったり、株仲間の結成が奨励されると、農村の中でも、お金を使った取引が増えてきます。

これを、 農村の貨幣経済の浸透、と言ったりしますが、要するに農村でお金を使う機会が増えるということです。

そして、たくさんのお金を使うために、借金をする人も増えてます。

この借金をする時に、土地を担保として入れておく(借金を返せなかったら、土地をあげますよ、という契約をしているということです)農民もいます。

そうするとこういった農民たちは、 実際に借金が返せなかった時に、土地を手放すことになります。
その結果、 農村には土地を持っていない農民が増えてしまいます。
(こういった農民が多かったので、寛政の改革の旧里帰農令や、天保の改革の時の人返しの法が制定されたのです。)

この、土地を持っていない農民たちを使って商売を始めたのが地主です。

地主たちは、農民を一箇所の工場に集め、分業と協業による製品の大量生産を行います。

これを工場制手工業と言います。

一つの製品を分業と協業により生産することで、コストが削減され大量生産が可能になります。

このように、幕末から、日本では資本主義化が進んでいました。

そしてこの資本主義化が進むのが、明治維新の時です。

新政府は、 近代化を目標とし、殖産興業を進めます。

殖産興業とは、 会社をたくさん作ることで、経済を活性化していこうというスローガンです。

政府は、その会社の模範として、官営模範工場を設立します。 中でも有名なのが富岡製糸場です。

富岡製糸場では、 輸出用の生糸が大量に作られました。

この富岡製糸場に代表とされるように、日本では最初、 軽工業(製糸業や紡績業です)で大きな技術革新が成し遂げられ、経済成長に大きく貢献します。

しかしこの軽工業中心の経済体制は、明治の終わりには重工業中心へとシフトしていきます。

それを象徴するのが八幡製鉄所です。

八幡製鉄所は1901年、 日清戦争に勝利した賠償金を使って作られます。

中国から安く鉄を輸入し、 更に筑豊炭田で取れた石炭を利用して、製鉄を行いました。

(石炭は、鉄を溶かすために使う炎の燃料として使います。)

この鉄は主に、造船業などで利用されます。

その後は1914年に第一次世界対戦が起こると、戦争で使うための軍艦の受注が増加します。

そのため日本の造船業は大きく成長し、「舟成金」と呼ばれるお金持ちが現れます。

このように戦争などの特別な需要によって景気が良くなることを、特需景気といます。

この第1次世界大戦の特需景気で、 日本の経済は大きく成長します。

第一次世界大戦の後は、安定的に経済は成長しますが、1928年の昭和恐慌、 世界恐慌の影響を経て後退してきます。

昭和恐慌は豊作貧乏とも言われますが、農作物がたくさんとれすぎたために価格が下落し、 結果として農家の収入が減ってしまったことで起こった恐慌です。

この恐慌によって日本の農村は崩壊します。

さらに1929年には世界恐慌が起こり、日本もこの影響を受けてしまいます。

(ここから日本はファシズムに 走ってしまい、太平洋戦争を引き起こしてしまいます。)

敗戦後日本の経済は最悪な状況でした。

しかしそんな日本を救う事件が起こります。

それが1950年の朝鮮戦争です。

この朝鮮戦争の意義は2つあります。

1つはアメリカが占領政策を転換させ、民主化・非軍事化を中心とした政策から、日本を早く独立させる方向へと向かったことです。

これによってサンフランシスコ平和条約が結ばれ、日本の独立が回復されます。

もう一つは特需景気です。朝鮮戦争で使うための武器や軍艦の発注が日本に来ます。これによって日本は経済的に復興することはできたのです。

この後日本は高度経済成長期に突入し、1973年、第四次中東戦争の影響で起こったオイルショックまで続きます。

正確には高度経済成長が終わった理由として次の2点があります。

1つ目は、ニクソンショックにより円高が進んだことです。

第二次世界大戦後の世界は、固定為替相場制に基づいて貿易が行われていました。

固定為替相場制というのは、通貨の交換する比率が決まっている状態のことです。

例えば円とドルの場合、1ドル360円という比率はいつも同じでした。

それが1972年に変動為替相場制に移行しました。(これをニクソンショックと言います)

この変動為替相場制は結果として、1ドルが300円を切る金額になり、円高になりました。

円高、円安に関しては、1円当たり何ドルか、で考えてみてください。

1ドル360円の場合、1円当たり1÷360円で0.002777ドルですが、

1ドル120円だと1円当たり1÷120円で0.0083ドル

つまり、円のドルに対する価格は上昇しているので、円高、となります。

円高になると輸出が不利になります。なぜなら、1ドルの物を売って360円儲かっていたのが、120円しか儲からなくなるからです。


その結果日本の輸出による利益は減少しました。

しかし、この後も日本は低成長ながらも成長を続けます。

そんな中、1980年代後半にバブル景気が起こります。

バブル景気は、不動産(マンションとかです)の高騰により起こった、見かけ上の経済成長のことです。

不動産の売買で一見経済が成長したように思えましたが、物やサービスが持続的に増えたわけではなく、同じものをただ交換して利益を増やしただけだったので、すぐに終わってしまいます。

その後、日本の経済は停滞してしまい、失われた20年に突入している、という流れです。


よって答えは、

1700年後半~工場制手工業始まる
1870年代 富岡製糸場
1901年 八幡製鉄所
1914~17年 第1次世界大戦の特需景気
1928年 昭和恐慌
1929年 世界恐慌
1950年代~1973年 高度経済成長
1980年代後半 バブル経済
でした。

経済は公民とも絡めて理解していきましょう。