いつか来る最後

投稿者:池畠 悠 所属塾:みやうち塾 閲覧数:190


投稿日時:2019年9月1日1:45

最終閲覧日時:2025年11月26日19:22


みやうち塾



ここ最近、友達の結婚式に親族の死と、大きなイベントに直面することが増えてきました。   


そんな中で感じる、時間の流れの速さ。


どんなものにも終わりがある。


これは間違いないことです。

今がいつまでも続くような気がしてしまいますが、そんなことは絶対にない。


確実に時代は流れているという感覚が最近強くなっています。


こんなふうに感じるのは、祖母の死を経験したからかもしれません。


実は、親族が死ぬという経験は、これが初めてでした。


この年にしては珍しく、母方の祖父母も父方の祖父母も全員健在だったので。


正直、あまり実感がないというのが感想です。



でも、祖母の亡骸をみて、もう会うことはないんだなということを実感しています。



最後に会ったのは8月15日でした。



ちょうど休みをいただいたときにお見舞いに行ったのですが、その時はとても元気だったので、、、


しかし、外には出せない病気の辛さがあったのでしょう。


そんな祖母の、遺言になってしまった2つの言葉があります。



1つは、生まれて来たことを後悔してはダメ。


よく、生まれて来なければ良かったとか、


こんな家じゃない方が良かったとか、


親に対して言ってしまう人がいます。



誰しも一度くらいそういう経験はあるのではないでしょうか?



僕自身、両親に対して言ったことがあるような気もします、、、

しかし、それは絶対に違うと。


どんな人でも生まれたことに意味はあるし、


それ自体が尊いことなんだと。

そして、それを育ててきた親がいるからこそ、今の自分がある。


これは紛れもない事実です。


僕達は生まれたときに、いい面も悪い面も、環境という宿命を背負っています。



ときにはその環境をうっとおしく思ったり、もっといい家が良かったと思うこともあります。


しかし、それ全てを背負う覚悟がなければ、人生を本当の意味で楽しむことはできない。


どんな環境だろうが、生んでくれたことが最もありがたいことなんだと。




こんなことを話してくれました。


(おばあちゃん、違ってたらごめんね(笑))


そしてもう一つ。


人生で最も輝いていたときについて。


祖母にとって、最も輝いていたのは、子育てをしていたとき。


私の母がまだ子供だったときのことです。



自分の子供達(母は3人兄弟です)が夜寝入った後のひととき。


このときが最も幸せだったと思うそうです。


当時は、家事に仕事に大変で、早く大きくならないかなと思っていたそう。


でも、今になれば、 あの時が最も幸せだった、どんな旅行や宴会より至福のときだったと気づいたそうです。


僕達は、なかなか身近な幸せに気づくことができません。


忙しい日常に追われて、なかなかその本当の幸福に気づくことができません。


しかし、本当は日常にこそ、幸せがあるのかもしれません。



いつかあとになって気づくことがある。

この言葉は、胸に刻んでおきたいと思います。



個人的な話になってしまいましたが、祖母の存在を忘れないためにもここに書かさせていただきました。


祖母は、塾をやることをとても応援してくれました。




その思いに応えるためにも、明日から戻ってやります。



明日の午前中は、飛田先生とアシスタントは吉永君、鎌田君が担当します。


ご協力いただいた皆様、この度は本当にありがとうございました。


生徒、保護者の皆様にもご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ございませんでした。


この場を借りて厚く御礼申し上げます。


では明日からも頑張っていきましょう!