歴史並び替え 戦後の首相
投稿者:池畠 悠 所属塾:みやうち塾 閲覧数:229
投稿日時:2024年1月23日15:24
最終閲覧日時:2025年7月5日9:32
こだなか塾
今日は、戦後の首相を並べ替えます。
首相を通して、戦後の出来事を整理しましょう。
佐藤栄作
田中角栄
吉田茂
岸信介
鳩山一郎
池田勇人
福田赳夫
竹下登
では、では戦後の首相に関して並べ替えをしていきます。
スタートは吉田茂です。
日本の戦後と言ったら吉田茂で覚えておいてください。
吉田茂首相は、1946年からも組閣していますが、重要なのは1948年から1954年まで続いた、第2回から第5回の内閣の方です。
ここで日本の独立を回復する、サンフランシスコ平和条約に調印します。
サンフランシスコ平和条約は、アメリカが朝鮮戦争の影響で、占領政策を民主化・非軍事化から、日本の独立を急ぐ方向へと変更したために結ばれた条約です。
この条約により日本は独立を果たします。
このサンフランシスコ平和条約と同時に、日米安全保障条約を結びます。
この日米安保条約で決まったことは下記の3つを覚えておいてください。
まず一つ目は、日本が攻撃された場合、アメリカが日本を守るという対日防衛義務に関して書かれています。
日米両国が、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」に対し、「共通の危険に対処するよう行動する」としており、我が国の施政の下にある領域内にある米軍に対する攻撃を含め、我が国の施政の下にある領域に対する武力攻撃が発生した場合には、両国が共同して日本防衛に当たる旨規定しています。
少し難しい書き方になってしまいましたが、日本が攻められた場合は米軍が必ず守るということが書いてあります。
二つ目は、アメリカ軍が沖縄に駐在することを認めるという内容です。
このため今でも沖縄には米軍基地がありますね。
三つ目は、日本軍も 、米軍の対日防衛義務を支援するという内容です。
これが憲法違反とよく言われるのですが、日本軍は米軍が日本を守れるように支援する人がある。
その際、軍事的なサポートもする必要があると解釈できます。
つまり、日本にある米軍基地が攻撃された場合、日本も軍隊を派遣する必要があるので、これは憲法9条に反するでないか、とよく言われます。
このように、日米安全保障条約はその後も、国内で論争の多い条約となりましたが、 吉田茂内閣の下で日本の独立が達成されます。
その後を継いだのが、鳩山一郎内閣です。
鳩山一郎内閣で覚えて欲しいのが、1956年の日ソ共同宣言です。
この日ソ共同宣言で、日本は国際連合に加盟することができます。
国際連合は、 5大国(アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国)の拒否権を認めるというルールがあり、社会主義国家であるソ連は、日本の国際連合の加盟に対して拒否権を発動していました。
しかしこの日ソ共同宣言で、 日本とソ連の国交が回復され、日本は国際連合に加盟することができたのです。
次の首相として覚えてほしいのが、1960年の岸信介内閣です。
岸信介内閣は、 新安保条約の調印、で覚えておいてください。
吉田茂 内閣が結んだ日米安全保障条約の期限が、1960年で一旦終わりになります。
そこで、日米安全保障条約の更新に関して議論が巻き起こりました。
世論の中には、反対意見も多かったのですが、岸信介内閣はそれをおし切って日米新安保条約を結びます。
これが、非常に物議を醸す条約更新となり、新安保論争と言われたりもします。
この後、日本は高度経済成長を続けていきます。
高度経済成長期の首相で覚えて欲しいのが、池田勇人首相と、 佐藤栄作首相です。
池田勇人内閣では、所得倍増計画が出されます。
これは現在、岸田内閣が公約に掲げていた所得倍増計画の元になった計画です。
この当時は日本が高度経済成長期ということもあり、実際に達成します。
また池田勇人内閣では、東京オリンピックが開催されます。
この東京オリンピックのオリンピック景気も後押しして、当時は年間の経済成長率が10%を超えていました。
(現在は良くても1%、普段はマイナスという状況です。どれだけ景気が良かったかが分かると思います。)
池田内閣の後を継いだのが佐藤栄作内閣です。
佐藤栄作内閣は戦後最長の内閣となりました。(現在は、安倍首相によって更新されています。)
佐藤栄作内閣(1964から1972年)で覚えて欲しいのが次の三つです。
一つ目は1965年の日韓基本条約です。
この日韓基本条約で、 日本は韓国との国交を回復します。
二つ目は、1968年の小笠原諸島の返還です。
アメリカから 小笠原諸島が返還されます。
三つ目に、1972年に、沖縄返還協定が結ばれます。
これにより日本に沖縄が帰ってきます。
沖縄も小笠原諸島のいずれも、アメリカから返還されたものです。
佐藤栄作首相は、これらの外交における功績を国際的にも評価され、ノーベル賞を受賞します。
佐藤栄作首相の後を継いだのが、田中角栄首相です。
田中角栄内閣では、中国との国交が回復されます。
1972年、日中共同声明が結ばれ、日中の国交が正常化したことが宣言されます。
その後オイルショックが起こり、日本経済が混乱しますが、 この時の首相も田中角栄です。
その後、列島改造計画などを全て行きます。
この田中角栄首相で有名なのが、ロッキード事件によって逮捕されたことです。
内閣を退陣した後、航空機の収賄にかかっているという疑惑で逮捕されます。(詳しくはまた調べてみましょう。)
この田中角栄内閣の後、再び日中の間で条約が結ばれます。
これが日中平和友好条約ですが、この時の首相が福田赳夫首相です。
1978年に結ばれた条約で、 日中両国の協力関係について詳しく書かれています。
今回の並び替えの最後は、竹下登首相です。
1988年に消費税を導入したことで有名です。
最後はリクルート事件に関わっている(政治家の汚職事件です) ということで内閣の支持率は10%台まで下がり、退陣に追い込まれます。
以上から答えは,
吉田茂
鳩山一郎
岸信介
池田勇人
佐藤栄作
田中角栄
福田赳夫
竹下登
でした。
首相を通して戦後の流れは理解していきましょう。