歴史並び替え 解説を読んでサクッと復習!(第二次世界大戦前から後の流れです!)

投稿者:池畠 悠 所属塾:みやうち塾 閲覧数:218


投稿日時:2021年10月27日10:23

最終閲覧日時:2025年8月26日6:56


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次の出来事時代順に並べ替えてください。



ヤルタ会談


マルタ会談

大西洋憲章



エチオピア侵略

沖縄戦

国家総動員法

日独伊三国同盟

日ソ中立条約



今回は、第二世界対戦前から対戦中の出来事を中心に、流れを追っていきましょう。

まず今回中で一番早いのが、エチオピア侵略です。

イタリアは、国家としてファシズムを推し進めており、ムッソリーニは領土拡大のためエチオピアを侵略しました。


これは1935年の出来事です。

満州事変や、日本の国際連盟からの脱退の後の出来事です。

この頃世界は、日本・ドイツ・イタリアという軍国主義国家と、イギリス・フランス・アメリカを中心とする自由主義国家で二分されていきます。

1936年には、 日独防共協定、翌37年には、イタリアもまじえて日独伊防共協定を結びます 。

日本は、1936年には、 二・二六事件、さらに1937年には、盧溝橋事件を引き起こし、日中戦争をスタートさせます。

この日中戦争は、抗日民族統一戦線の結成による中国の激しい抵抗と、 中国を支援する国々よって敷かれた ABCD 包囲網によって、長期化します。

そこで、当時の近衛文麿内閣は、1938年国家総動員法を施行し、国民全員が戦争に参加することを義務づけます。

この法律によって、米の配給制や服などの切符制が導入されます。

また、国会を解体し、1940年には大政翼賛会が作られます。

この大政翼賛会の下に国民は支配され、隣組という制度のもと、上からの命令を迅速に実行することを強制・監視されます。(上意下達)


このころ、ヨーロッパでは、ヒットラー率いるナチスが第一党となったドイツが、ポーランドに侵攻します。(1939年)

これに対して、イギリス・フランスがドイツに対して宣戦布告をし、第二次世界対戦が始まります。

ちなみにドイツは、このポーランドに侵攻する前に、独ソ不可侵条約を結びます。先に独ソ不可侵条約を結び、ソ連から攻撃されることを防ぎ、ポーランドへ侵攻したというのがポイントです。


イギリス・フランスとの戦になったドイツは、両国を圧倒します。


フランスの占領し、イギリスに対してはロンドンへの空襲を行います。

こうして、自由主義陣営と軍国主義陣営の対立が深まる中、軍国主義陣営( 枢軸国といいます)は、1940年に、日独伊三国同盟を結びます。


その後ドイツは、領土拡大のため、ソ連と戦うことを決意します。1941年に 独ソ不可侵条約を破棄し、ソ連に宣戦布告します。


これを見て、長期化する日中戦争を終わらせたい日本は、ABCD包囲網を打破するために、南進政策(東南アジアへ進行すること)を決め、 アメリカとの戦争を想定します。


1941年に、日ソ中立条約を結び、南進政策の大義名分として、大東亜共栄圏の設立を掲げます。


その後日本の南進政策を批判したアメリカは、日本への資源の輸出を制限します。

資源の輸入ができず、経済的に苦しくなった日本は、 アメリカとの開戦を決意し、1941年の12月8日に、真珠湾を攻撃します。

これが、太平洋戦争のスタートです。

ちなみに、 太平洋戦争が始まる少し前に、(1941年8月) アメリカのフランクリンルーズベル大統領とイギリスのチャーチル首相が大西洋憲章を結んでます。

これは、第二次世界対戦後の 世界政治における理念やビジョンを共有するもので、アメリカは大戦に参加する前から勝利を確信していたわけです。

このアメリカの参戦により、戦局は大きく変わります。(この真珠湾攻撃を最も喜んだのは、イギリスのチャーチル大統領と言われています。 なぜならば、 日本は日独伊三国同盟を結んでいるため、日本とアメリカが戦争するということは、イギリスを苦しめるドイツもアメリカの敵になるということを意味するからです。このアメリカの参加によって枢軸国は負けてしまうわけです。)


日本は真珠湾攻撃の後はアメリカに負け続けます。


最初ソ連に対しても優勢であったドイツでしたが、ソ連の激しい抵抗やフランスのレジスタンスを受け徐々に撤退します。さらに、アメリカの参戦が敗戦を決定づけます。


1945年2月には、クリミア半島ヤルタで連合国首脳による会談が開かれました。(ヤルタ会談)

ルーズベルト大統領、チャーチル首相、スターリン首相が出席し、戦争遂行と戦後処理、国際連合創設およびソ連の対日参戦などを決めました。


この後、アメリカとソ連の挟み撃ちを受けたドイツは1945年5月7日に降伏します。

日本でも、1945年の3月には東京大空襲、さらに沖縄戦もスタートします。


アメリカは日本に対して、ポツダム宣言の受諾を要求します。

しかし、天皇制の否定など、到底受け入れられるものではなかったため、拒否して抵抗し続けます。

ドイツが降伏したため、ソ連が日本に宣戦布告をした(満州)こともあり、戦争の終結を急いでアメリカは、 日本に原爆を落とすことを決意します。


この時アメリカは、 第二次世界対戦後の世界が、対戦を終わらせる重役になったソ連とアメリカによって分断されることを予測していました。

ソ連は戦争中だからこそ仲良くしていますが、社会主義国家であり、資本主義国家であるアメリカやイギリスとは相いれません。


実際、ドイツに関しても、ソ連とアメリカで領土を2分することが決まっており、日本も同じように二分されることは避けたいと考えていました。


そこで、素早く戦争を終わらせ、日本に関してはアメリカが単独で占領したいと考えていました。


1945年の8月6日には広島に、8月9日には長崎に原爆が落とされます。

そして1945年の8月14日に日本は降伏。よく15日に玉音放送にて敗戦が報道されます。


これにて第二世界対戦は終わりました。

これで並び替えはほぼ行けると思いますが1つ、マルタ会談はまだ書かれていません。

よく勘違いする人がいますが、 マルタ会談は第二次世界対戦とは関係ありません。

これは、1989年に、マルタ島にて、 アメリカのブッシュ大統領と、ソ連のゴルバチョフ 書記長が、冷戦の終結を話し合った会談です。


1945年のヤルタ会談で第二次世界対戦後の世界の構造が決められ、その世界の構造であった冷戦が、 1989年のマルタ会談にて終わりました。

そこで、この期間を象徴して、「ヤルタからマルタへ」と言われたりします。


以上から答えは


1933~1935年 エチオピア侵略

1938年 国家総動員法

1940年 日独伊三国同盟


1940年 4月 日ソ中立条約


1940年 8月 大西洋憲章


1945年 2月 ヤルタ会談

1945年 3月~ 沖縄戦




1989年 マルタ会談


でした。


第二次世界大戦の流れは細かいので、何度も流れを整理し欲しいと思います。