投稿者:池畠 悠 所属塾:みやうち塾 閲覧数:192
投稿日時:2020年1月6日0:52
最終閲覧日時:2025年11月26日12:42
ニュースピックで面白い記事があったので紹介させていただきます。
大前研一さんのものですが、
「日本の教育は古い」というものです。
ニュースピック記事
会員にならないと見れない内容もあるので、簡単に説明させていただくと、
日本の教育は、文部科学省が中央集権的に進めてきたもので、日本の高度経済成長期の、「大量生産、大量消費」の社会を支える労働力を担保する上では効果的に機能した。
しかし、世の中は変わり、作れば売れる世の中ではなくなってくる。そうすると、決められたことを画一的にやる能力は必要なくなってくる。それに伴い、いかに効率よく、決められた答えを見つけるかを極める学習は必要なくなる。
また、そもそも存在しない答えを教える「ティーチャー」も必要なくなる。代わりに、答えを探すことを助けてくれる「ファシリテーター」が重要になってくる。
教師の役割はティーチャーからファシリテーターに変わり、生徒と共に正解のない問に挑戦していくようになるのだ。
という内容です。
時代がどれだけ変わったかはわかりませんが、変化が激しいことは間違いないです。
少なくとも、僕が中学生の頃は、インスタもラインもなかったので。
10年でこれだけ変わったことを考えると、この先、
世の中はどんどん変わるでしょう。
(今の中学生が大人になる頃には、3分の2の生徒は現在存在しない仕事をすることになるそうです)
そんな激しい変化の中で、学校だけ変わらない。
これはおかしい。
そう話す大前さんの言い分はよく分かります。
じゃあ、そういう世の中に合わせて、僕もファシリテーターに変わっていこう!
答えのない問いを見つける塾になろう!
なんてことは全く思わないです。
むしろ、
答えを教える「ティーチャー」を、より極めていこう。
というのが私の考えです。
というのも、僕らは学校とは提供しているサービスが根本的に違うと思ってます。
学校は、みんなが生きていくための力を提供しているのだと思います。
でも私達は違います。
売っているのはシンプル。
学力向上。
これだけです。
もちろん、学力向上を目指した結果、すごく成長できたとか、
それは本当に嬉しいです。
そして、学力向上のために、ルールやマナーといったものがある程度大切なことも間違いないです。
でも、「生きる力を売る塾」とかいった瞬間に、なんか胡散臭くなるんですよね。
だって、生きる力なんて、どんな力かわからないし。
わからないというより、答えがないので、そもそも存在しないんです。
そして、存在しないものは定義できないから、これを売ることはできないんです。
(すごくわかりにくい表現になってしまいましたが、よくわからない「生きる力」は、売ることができないということです。)
でも、学力は違います。
学力を構成する要素は、言語化できます。
計算処理力だったり、言語論理だったり、概念力だったり、
もっとわかりやすくいうと、数学や国語です。
さらに、数学や国語には、ある一定の仮定のもとでは必ず成り立つ、答えがあるんです。
大げさなことをいうと、数学の定理は、宇宙が滅びようと真理なんです。
だから、「生きる力」なんかよりも、ずっと明確で、普遍性があります。
さらに、勉強は成果をきちんと測ることができる。
結果と向き合い、反省していくことができる。
でも、生きる力だと、何でもごまかせるんですよね。
結果はでないけど、生きる力はついたとか、
(それを言っていただけるのは嬉しいですが、私が言うことではないかなと思います)
だから、私は、塾で生きる力を!とかいうのはなんか嫌なんですよね。
すごい逃げてる気がして。
結果と向き合うことが怖いから、そっちに逃げる。
いいことやってる感が出る。
でも、みやうち塾は絶対にそうはしないです。
定義を教え、(国語の場合、言葉の原義を再認識するというイメージですが)
定理という答えのあるものを売り、
それを定着させる行動様式を、ルーティーンに落とし込むためのシステムを提供する。
そして、結果である学力向上にこだわり抜く。
それを、2020年も極めていきます。
なんか長くなってしまいましたが、別に生きる力を否定してる訳ではないですよ?(笑)
そういうのは、違うジャンルと捉えてます。
(とはいえ、学力もあったら絶対に役立つからね。)
ということで、明日も頑張りましょう!(笑)